自由とは不安の裏返し

以前のブログでお伝えしましたが、私は訳あってこの4月だけニートです。

普通に考えれば今まで体験したことのない自由時間が手に入って嬉しいはずです。

しかし、なぜか落ち着きません。

自由とは不安の裏返しにもなりえると自ら体験したのです。

「時間がない」
「会社に縛られて、これでは社畜だ」

 

自由な時間が欲しい!

 

皆さんの人生で「自由」な時間はありましたか?

おそらく、一度くらいは体験していると思います。

学生時代の夏休みなんかは自由時間です。遊ぶのも自由、お金がないからバイトするのも自由(校則や家のルールはありますが)

しかし、自由による不安から「人の道をはずれた行為」へ発展した人間もいます。

中卒の友人
中学を卒業して進学をしないA君がいました。とくに働かずに過ごしています。生活は親の援助があり、親にはほとんど文句を言われることがありません。自由な時間を過ごしていました。しかし、A君はいつの間にか非行に走るようになったのです。

高卒の同級生
高校卒業後、ニートになったB君。時間はいくらでもあります。しかし、B君はネット詐欺に加わるようになりました。

後に2人は同じような事を言っています。

「何をしたらよいのか、わからなかった」

これは自由な時間の活用法が見いだせず、逆に不安やストレスの原因となったのでは?と推測できます。

*あくまで1例であって、自由時間を目標を持って活用できる人もいます。

予防医学で有名な石川芳樹先生の話を一部引用します。

最近、公衆の場でみっともない行為をする大人が増えました。「切れる高齢者」などのワードもあります。

石川先生によれば「あれは第二の青春」だそうです。

社会を引退して有り余る時間を得る。特に世の中の役割もなく、家庭でも宙ぶらりんの状態。

その「自由」に耐えられなく不安となった人が問題を起こすのです。

そう考えると、「先ほどの非行に走る少年」と「キレる高齢者」には自由な時間の使い方がわからないという共通点があります。

自由に耐える人とは、自分で目標や役割を見出せる人です。

 

ところで皆様はマズローという心理学者を知っていますか?人間の欲求を5段階に表した下記の表は有名です。

今までの事を考えると第3の欲求である「所属と愛の欲求」の欠落こそが、非行やキレる大人の誘因となる気がしてなりません。

「人は何かに属さなければ自分を見出せない」集団に属して自分の役割を持ってこそ、生命欲求が満たされる結果だと考えます。

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